50代になったら、もっと完成していると思っていた。
もっと落ち着いて、すっかり悟ったように暮らすものだと思っていた。
でも実際は違った。
友達と話していた。私たちは50代前半。子どもの年齢も似ている。
「もう子どもの独立が見えてきたし、私は終活の気分だよ。これから静かに穏やかに暮らしていくために、色々考えてるんだー」そうなんだ?!へー、と思っていたら、あれよあれよと彼女は子育てのために買った郊外の一軒家を手放し、上質な老後の暮らしが約束されたような都会のマンションに引っ越していった。
別の友人は、
「私の今までのしんどかった経験はさ、きっと誰かの役に立つと思うんだ。次世代の道標は大げさかもだけど、伴走者にはなれるかも」と言って資格を取り、若い人たちの心の支えとなるべくボランティア活動をはじめた。
え?みんな偉い。すごい大人だ。
私はまだこれからなんだけど。まだやりたいことがある。終わりの活動には程遠い。
まだ試したいことがある。まだ生きてみたいシーンが山ほどある。
次世代のためじゃなくて、自分が。


本屋に行くと、自然と自分の年代向けの本が目に入ってくる。
「手放す」「整える」「心穏やかに」「人生後半」… 研ぎ澄まされてる。
Instagramを開けば、美しく丁寧な暮らしが流れてくる。
みんなの完成度は、その美意識はどこから来るんだろう。どうして揃いも揃って、みんな自分の世界観を確立しているんだろう。本当に素敵。
私くらいになったら悟りを開くのね?!そうか、もういい年齢だもんね。何事にも自分なりの答えを持っていて当然なのね?!
……あれ?
私、全然そこにいない。
いまだに、「こうしてみたらどうだろう?」「こんなこと試してみようか、いやそれともこっちか?」
などと、暮らしの(いや生き方の?)実験をし続けているのだ。
本を出した。お菓子のレッスンはオンラインで続けている。グルテンフリーのお菓子作りはすっかり私の生活の一部になり、新しいレシピも思いつくままに作り出している。皆と作る時間込みで楽しむワークショップも季節ごとに開催しはじめた。
それでもなんだか思うのだ。もう少し、ずっと実験中の悟りを開いていない私なりに、誰かのお役に立てることがあるんじゃないかと。
…それはきっと、自分のためでもあるのだけど。
出版した本につけたタイトルは『Bake Small, Celebrate Big』。小さなお菓子を焼いて、なんでもない日常を祝うように暮らす、という思いを込めた。
一人ひとりの台所から始まる暮らしの小さな幸せが広がったら、世の中の笑顔も少し増えるかなーという希望も、タイトルには盛り込んでいる。
私の考える「日常を祝うように暮らす」ってなにかというと、毎日、ゴージャスなケーキを焼いて、「イエーイ!レッツセレブレート!」じゃない。
・素朴だけどサクサク食感と風味が大好物なお菓子が焼きあがる
・500円で見つけたアンティーク皿と、奮発して買ったフランスのカップを合わせる
・そして一人でほくほくと愛でる
・もしくは同じお菓子を、大切な人とほうじ茶を飲みながら食べて、意味のあることないことを喋ってる
もうこれだけで「日常は祝うに値する」って本気で思うのだ。そして少しだけ俯瞰で見ている自分がいて、
「あー私、このシーン大好き!」
って思うのだ。一人なら、声に出して言っている。
そう、お菓子作りは私にとってずっと、暮らしのワンシーンなのだ。
全部が理想通り、なんていう生活は難しくても、「この瞬間を過ごせてよかった」と思えるシーンは、自分で少しずつ増やしていける。
一本の映画みたいに、好きだなぁと思うシーンが連なっていったら、、、
あぁ、自分の暮らし大好きだなぁって素直に思えるのでは?
本に触れてくださった方や、ここから続く私の暮らしを見てくれた誰かが、「私もこんな時間を作ってみようかな」「私も試してみようかな」と思える小さなきっかけになったら。自分の暮らしをちょっと好きになれるきっかけと出会ってくれたら。
これが今の私にできる、誰かのお役に立つ形なのかもしれない。
そうしよう!決めた。
自分が心から好きと思える暮らしのワンシーン。
それを一つずつ実現していく、その記録を残していこう。
今53歳で、まもなく54歳。もう立派な年齢だとか、周りに立派な人がたくさんいるとか。一旦置いておく。
私の人生、完成まではほど遠い。もしかしたら完成はしないかも。それでもいいや。
誰かの美しい暮らしをいくら眺めていたって、目の前の暮らしは変わらない。だったら「こんな時間を過ごしてみたい」と心に浮かぶ小さな憧れを、一つずつ試してみる。
季節のお菓子、読書の時間、家族との食卓、一人の食卓、旅先で過ごす朝、家で迎えるいつもの朝。
もし、「私もまだまだ悟ってないわ」と思う人がいたら。
一緒に小さな憧れを一つずつ暮らしの中に作っていきませんか。



